なぜアナウンサーの私が、写真家になろうと思ったか?
個展情報 Q&A 第二弾 「アナウンサーから写真家への道①」
東京 銀座のギャラリー ART FOR THOUGHTさんで、8/17~25まで開催します
個展 Texture 「かさなる気配」 個展の詳細はこちらをご覧ください→★
最初に、私の自己紹介を。⇨ 石井江奈のプロフィールはこちらから
プロフィールにありますように、私はテレビ朝日系列の青森朝日放送で、局アナを3年間経験してからフリーアナウンサーになりました。
「自分の声が大嫌いだった私がアナウンサーになるまで」・・・は、以前こちらの記事→★でご紹介したことがあります。
1998年頃の弘前城さくら中継ですね。
24歳で、なんとかニュースキャスターらしく見えるように、
メイクを濃くして夢中で頑張っていた頃(笑)
アナウンサーのお仕事は、大好きでした。
訓練すればするほど声も喋りもぐんぐん変わっていくさまは、自分自身でもその進化に日々驚きの連続でしたし、
局アナ時代は夕方のニュース番組、スーパーJチャンネル、
フリーになってからはTBSラジオのプロ野球ナイター中継の番組を月~金曜の帯でもたせていただいたことで、
プロとして、365日体調を万全にしていくことの必要性、そして、日々の継続がどれだけ力になるか、身を以て体験させていただいたことは、今、お仕事をする上でも私の基本になっています。
毎日が本番
本番の中で学んだ経験は、何よりも実になる、かけがえのないものでした。
そしてどんなに体がきつくても頑張れたのは、一流のディレクター、カメラマンさん達とチームで一つの番組を作り上げる一体感が最高に心地よかったから。
その楽しさと周りにいてくださる方々からの刺激に、私は夢中になりました。
テレビ東京「獏さんのひゅーまんテレビ」出演者とスタッフ集合写真。
これだけの人が力を結集して、番組って作られるんですよね。
番組の中では、スポーツ選手を始め、政治家、画家、お医者様、俳優さんなど、一つの道に精通なさる方々にインタビューをさせていただく機会が数多くありました。
TBSのパーティーで、当時ジャイアンツの監督だった長嶋茂雄さんにインタビュー。
そういった体験を20代でできたこと自体、私は本当にラッキーだったと思います。
そんな生活を数年間続けていく中で、結婚、出産を経て自分のこれからの生き方を考えた時に、胸にこみ上げてくる思いがありました。
「アナウンサーのお仕事は大好きだし、最高に楽しい。
でも、これからは、何か一つの道を極めてみたい!
これまでインタビューをさせていただいて来たあの方々のように。
何か一つのことを深くじっくり追求することで、これまで見えなかった世界が見えてくるのではないだろうか」と。
創造には、破壊を伴う
私はアートがもともと大好きでした。
私の原点は、大学時代のパリにあると思いました。
留学中、パンとチーズとカフェオレばかりの食事だったけど、毎日授業が終わると美術館に駆け込んで時間を忘れてスケッチをしていたあの頃。
ピカソ美術館で、ピカソの滅茶苦茶な女性関係に驚きながらも(笑)彼の生き様は作品にも如実に現れていて、
「何かを生み出す、つまり創造する時は、一度全てを破壊しないといけない」
というピカソの言葉に心から感銘を受けたのです。
局アナ時代の私を支えていたのも、ピカソのこの言葉でした。
こうして私は、アナウンサーであった過去を捨てる決意を固め、写真の道に進んだのでした。
第二話へ続きます